今日で7月も最終日。
早い。(毎月言ってる)
最近は個人的に絵を描くことにハマっていて、先週から画材屋さんに行ってアクリル画の練習を始めてます。アクリル画の理由は乾くのが早くて書き直し、書ける回数が多くなるからです。
今はそもそも絵を上手くなりたいから、アクリル画ですが慣れてきたら油絵に移行したいと思ってます。
最近描いた2枚。
実はこの2枚にはどちらも自分が撮った写真。
台湾の九份という場所にある、
暁宅山というホテルの1枚
大学時代の仲良い友達と
京都でランニングした時の1枚
1枚目に描いて思ったのが、確かに絵を描くだけでも楽しいっちゃ楽しいけど、1人で行った時の絵を描いてもそこから会話だったりが派生しないのはちょっと勿体無いなということ。
それで2枚目は友達と共有した出来事について絵にしてみました。
結果的にこの絵を見た友達は、割と喜んでくれて、その絵を持って帰ってくれました。
人にはよると思うけど、個人的には今後はよりこういった“集中化”が各所で起きてくるんだろなと予想してます。
言い換えると「いかにピンポイントに消費や行動や感動を作れるか」だと思ってます。例えば、写真と絵を比較してみると携帯や技術の発達によって、誰でもいつでもどこでも、「綺麗な写真」を取れるようになったので、「いい写真」はどんどんマイノリティからコモディティ化されていっていると思います。
最近、カメラのブームがきているのがそのサインだと仮説立てています。
コモディティ化が進むとどんどん競争が激しくなり、当然1枚1枚の写真には価値が無くなっていきます。iPhoneの写真フォルダと想像して見てみると、「どれもいい写真だけど、どれもフォルダに埋もれている」と思います。携帯を買い換えるときに段々とギガ数が増えているのもその合図だと思います。
だからこそ、今後はどんどん「集中化されたもの」=「ピンポイント」「唯一なモノやコト」の価値が上がっていくと予想していて…
インターネットやコンピューターによる技術や体験の向上に、人が慣れすぎて、新しいものが出てきてもこれまで以上に感動しなくなっている気がします。
逆に「あの時、走ったな〜〜〜」っていうストーリーが出てくる、ちょっと下手な絵の方が“この世に1枚しかない”から価値が上がると思います。おそらくギガ数が一杯になって携帯の写真を消すよりも、モノが増えたけど僕が描いた絵を捨てる方が当事者からすると難しいと思います。
色々増えすぎた世の中だからこそ、逆に人はシンプルというより、「たった1つのもの」に価値を感じるようになっていると思います。
いつでも買えるものは買うのに迷うけど、海外旅行に行ってそこにしか無いものはつい買ってしまう。
小学生の頃に自分が描いた絵を親が家の2階にずっと置いてくれる。そんなものを自分自身も何かしらの形で1つずつ世の中に生み出していけたら、もっともっと良くなると信じて、ひたすらに頭を淡々と使い倒したいと思います®︎
まぁこれと商売をどう上手く結びつけるかは、正直あんまり上手く浮かんでいないけど。笑
焦らず時間をかけていきたいと思います。