昨日の夜ベトナムのダナンに着いて、今日は宿を変えて海沿いのベランダで1日ゆっくり本を読んだりして過ごしてる。

そんな中ふと「自分自身が事業をしている最もらしい理由の1つ」に読者をしながら気づいたので、本を読むのを中断してこの日記に書き留めておこうと思ってPCを開いた。
なんかこんな風にこれまでぼんやりと思ったい事がある瞬間、急にパッと綺麗に言語化される感覚が個人的にはもの凄く好きで嬉しくなる…から言葉にしておきたくなる。笑
僕が事業をしているのは、おそらく「目に見える安心よりも、人生の自由度を必死に守りたいから」なのだと思う。
※必ずしもこれだけではないんだろうけど、要素の大きな1つだと思う。
自分自身で事業をしていく(=別に事業みたいな大袈裟な表現ではなく、個人で仕事を取ったりして働いていくのも当てはまると思う)ことは少し言い換えてみると…
時間的な主体性を求めてる、時間的な主体を奪われたくないという根本的な意思から派生した1種の具体的アクションだと個人的には考えてる。
またそれが「資本主義」という、あまりにも資本のパワーが強い世の中において、多くの人にとって「資本>時間」という構図になるが故に、事業を立ち上げる側がマイノリティな存在になっているのだと思う。
そして、この差は皮肉なことにある種時間を優先した人間の方が結果的に時間も資本も手に入れるような仕組みになっているように感じる。無論、どっちが良いとか悪いとかは無い。
何が書きたかったんだっけ…。笑
あ、そうだ。
なんか「自由度」っていうワードを聞くと、自由度に対して過去にそこまで大きな挫折や経験をしていない僕は「自由度を求める自分=ちょっと嫌気が差す」みたいな感覚がずっと心にあったんだけど…
これがさっき整理した「目に見える安心よりも、人生の自由度を必死に守りたいから」という言葉によってものすごく肯定的なものになった気がする。これに気づいたのが嬉して言葉にしておきたいなと思ったんだと思う。
また1つ自分の中の隠れた真実を1ピースを見つけられたと思うと嬉しい。
あとは移動によって得られるものの1つに、場所によって人格をいい意味で変えれる側面もあるなと、今回の移動ではほとんど1日おきに違う国に移動してきて感じる。
場所が変わると色んな自分を生きることができるのは、移動が生み出してくれる独自的な価値だと思う。