日々の日記

vol.42:#2025.10.9『曖昧さを許容する』

久しぶりに「あ、日記書きたいな」と思って編集ページを開いて、特にテーマも決めず、なんかとりあえず言語化することによって生まれる幸福感を求めて、淡々とタイピングしてる。笑

前回の日記更新日を見返してみると、更新日が9/6あたりだったので、もう1ヶ月以上空いていると思うと、かなりこの1ヶ月は充実してたのかな?と思ったり?

日記が空いてる=充実してるにはならないけど基本的に、

①自分の中で言語化したい発見があった
②思考を整理したい時
③何か前進している手触りが欲しい時

に、自分自身は日記を書く癖があると思うので、この1ヶ月が1番どれに当てはまるのかというと、どれにも当てはまる感覚がある。笑

まぁそういう答えを、あえて求めないのもいいか…。

と書いていたら、最近大事にしている「曖昧さを許容する」というワードが頭にふと出てきたので、今日はそれについて書いてみる。

ここ最近は言葉の通り「曖昧さを許容する」ということを受けれるように頑張る状態から、少しずつ自然とうけいれらるようになってきた感覚がある。

これが自分自身が仕事を始めた7年前とかなんかは、今思うとホントに苦手だったように思える。笑

もちろんこれにもいい面と悪い面があるけど、今は「曖昧さを許容できる」ことが凄く個人的にいいことだなって感じ始めてます。

というのも、「曖昧さを許容する」ことは、自分自身の中で翻訳すると「長期的に物事を見る、捉える、実行する」だと翻訳していて…

最近は少しずつ歳を重ねているせいか、事業をするにしても、何をするにしても、いわゆる「社会性」や「意義」みたいなものを自然と自分の中に求めるようになった気がする。

ただこういった物を同時に求めようとするとどうしても一気に難易度が高くなる。

だからこそ、中途半端な気持ちで参入すると想像以上の痛い目を見るんだろうな…っていうのが、目に見える。笑

と、そんな事を考えていると…パッと答えが出なくなる。

つまり曖昧な状態が日常においてかなり続くわけで、人ってどうしてもモヤモヤ感があると居心地悪いので、すぐに答えを出したくなる物だと思います。

ただそうなると、実現したいことに対するアプローチの手段としてはちょっとズレてくるので「曖昧さを許容する」ことが結構大事になると勝手に予想してる。

だから、ちょっとした前進している手触り感が欲しくて、日記書いてたんだなって気づいた。

今日も頑張った。

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